第04回 株式会社Socio 魚谷秀夫さん 2010年05月25日
第4回のOB訪問は、現在株式会社Socio代表取締役として活躍してされている魚谷秀夫氏にお話を伺いました。
魚谷氏は、高校、大学、社会人と野球をプレー。現在29歳ながら会社を経営する若き経営者です。(いわゆる松坂世代ですね。)
野球をやりながらどんなことを感じていたのでしょうか。お話を伺ってきました。
高校時代
スタッフ(以下「ス」):大阪から高校では東京の創価高校に進学。進学のきっかけは?
魚谷氏(以下「魚」):元々上京思考が強かったのもありますが、きっかけは、明治大学を観てからです。 当時の明治大学は六大学で優勝してプロにも野村克則さんとか1チームから何人も排出していました。東京六大学の存在を知り、このリーグでやりたい。東京に出たいという気持ちが強くなりましたね。
そして中3の頃は、創価が3季連続で甲子園に出場していたんですね。そこで創価になにもたよりがなかったのですが、自分から売り込みに行きましたね。
「ス」:勉強などへの不安はありませんでしたか実際に高校に入学して感じたことは?
「魚」:甲子園経験者が先輩に多くいて、勝ち方を知っているレベルの高いチームでした。その中で僕はたまたま球が速かったので、入学してからすぐに練習試合でもチャンスをもらい、同学年の小谷野(現:日本ハム)と一緒に夏のベンチにも入れてもらうことができました。
でもレベルは高いなと思いましたよ。特にバッティングです。中学までの軟式だとあまりあてられたことがなかったのですが、高校ではポンポン飛ばされる。(笑)
ただ、一方で投手としてやっていけそうだなとも思っていました。
ここで甲子園にでて甲子園に3回ぐらいいけるかなという甘い考えがありました。
「ス」:甘いですね~。
「魚」:はい。ただ2年の夏は決勝(堀越戦) はターニングポイントになりました。2回6失点でノックアウト。決勝の試合前に先発を言われ、準備ができないまま登板。最終的には12対11ぐらいで負けたので、完全に僕のせいですね。
不運もありましたが、それをマネジメントできる力も当時の僕にはなかったですね。
新チームに入っても、半分干された感じで、練習試合はレフトで出ていました。ボールも当然いかなかったです。
ただ、ここは試練だと思い、腐らず踏ん張りました。自分でピッチング練習をしていました。
「ス」:そして迎えた秋は準優勝。
「魚」:秋の本大会はすべてリリーフです。先発が序盤でいつも点を取られて、僕がロングリリーフで押さえて、逆転、みたいな感じで。
僕がつぶした甲子園だったので、チームを救えたのかな、恩返しができたかなという気持ちでした。
秋は心技体、すべて充実していましたね。試合前の準備、イメージがどのぐらい大事か、夏に勉強したので、具体的に勝った後の自分までイメージに落とし込んで準備をしていました。だから心に余裕があった。
「ス」:選抜ではPL学園と対戦。
「魚」:僕は大阪の人間なので、東京の代表として大阪のチームと当たるので不思議な縁を感じました。あの代のPL学園は松坂世代で唯一横浜を苦しめたチームですから。
僕らがPL中村監督に80勝目をプレゼントしましたよ。(笑)でも東京では味わえないレベルの高さを味わい勉強になりましたね。
「ス」:なるほど。それは夏に活かせたのですか?
「魚」:夏は日大三に敗れました。リリーフで登板し、結局、僕も撃たれて負けました。
「ス」:高校時代、やりきった感は?
「魚」:やはり選抜にでたこともあり、夏までになかなか士気をあげていけなかった感じはします。選抜に出て、みんな見ているし研究している。圧倒的な力がないと夏は厳しいと感じましたね。春からもう1ランクあげれたチームが連続で甲子園に出場できると思います。厳しいですよね。関東地方はレベルが高いですから。
そういう面で後から感じるとまだまだやることはあったのでないかと感じますね。
「ス」:今の魚谷さんから考えてこうした方がいいとか思うところはある?
「魚」:甲子園に行くというのは共通認識ではあったのですが、甲子園で勝つ、全国制覇となると、口では「全国制覇」と簡単に言えますが、実際に本当に勝つ練習をしていたのかなと思うと疑問が残ります。その部分がまだ当時の僕にはわかっていなかったと思います。
甲子園で勝つにはまだまだやることいっぱいあったよなと思います。
「ス」:口で行った事を実際に具現化するのは大切なことですよね。
大学時代
「魚」:挫折続きですよ。怪我とレベルの違いをずっと痛感していました。 人間力というか、踏ん張って挫折をばねに頑張れる本当の力がなかったと思います。
「ス」:圧倒的な力の差を感じた?
「魚」:はい。それは高校時代になかったことですね。松坂のいた横浜と練習試合をやった時など力の差は感じましたけど、他県で間近な存在ではなかった。
僕が1年の時の4年生に木塚さんと的場さんといった先輩方がいらっしゃいました。これは凄いなと思いました。レベルの高さを感じましたね。そして、自分の学年が上がってくると今度は下から牛田(ベイスターズ)、岡本(西武) 、そして一場(ヤクルト)とか凄い選手が入ってくる。くやしいけど、そのボールは投げれない。
ただそこで人間力があれば、自分のできること、活躍できる分野を模索したのかもしれません。だけどその時は絶望感だけでしたね。怪我もあり、余計に感じました。
上級生になり、バッティングも良かったので打者転向も言われましたが、投手で勝負したいという変なプライドから踏み切れなかった。 だから大学時代はほとんど投げていません。
だからこそ社会人でもう一回勝負したい、挑戦したいと思いました。
社会人
「魚」:社会人は自分の居場所さがし。大学でできなかったことやろうと。より打者に打ちづらいことをしようとサイドスローにしました。ふっきれましたね。プライドを一回捨てて、組織の中の自分の居場所を確立する為に努力をしました。
僕にしかできないこと。僕の持ち味を生かすということに徹底しましたね。
汚い球、打者が打ちづらい球を磨きました。
結果的に社会人であまり打たれた記憶はあまりないですね。
中継ぎが多かったのですが、流れの悪い時に登板して打者1順目は押えていましたから。
2順目となると打たれることもありましたが、それで流れを持ってくる事が僕の役目だと思っていたので。仕事はできたと思います。勝負とチームに役割を与えられて責任感を感じながら、野球をやった4年間で、楽しかったですね。
「ス」:結果が出ている中で、自分の中で野球をやめるきっかけとなったのは?
「魚」:自分の中で体の衰えとかは感じていました。
また大学の時の僕の同期で1年春から一人レギュラーを取って4年間でつづけた選手と公式戦で対戦したんですよ。そこで打ちとり、一つの区切りができましたね。
認めていた選手に「俺はまだ終わっていなかったんだぞ。」と見せれたことが一番ですね。達成感がありました。そしてその年に引退を決意しました。
充実して終わったので、すぐにすんなりと次のステージに行けました。
「ス」:仕事との両立は?
「魚」:サービス業をしていました。仕事も勉強だと思っていたので、仕事も充実していましたね。色々な方とお会いする機会もあり、仕事としてお金を儲けるのがどのぐらい大変かもわかりました。人との接し方、喜ばせ方、ホスピタリティーというのは今では有名な言葉ですが、本当にそういうところを学びました。仕事は凄く充実していました。
環境は厳しかったですが、その中で出来ることをしっかりやろうと取り組んでいました。
高校球児へのメッセージ。
「ス」:最後に高校球児に伝えたいメッセージはありますか?
「魚」:野球は一つの組織ですよね。与えられたポジションで自分の出来る限りの力を発揮するとうのは凄く大事だと思います。
なんとなくやる選手と自分のポジションを探して一生懸命やる選手とでは1年間たって凄く差が出てくると思います。
結局は意識だと思います。意識が凄く大切です。目標を高く持ち、そこから逆算して努力した選手がやはり伸びると思います。周りを観たらやはりそうでしたね。
一つの例として明治の同学年のキャプテンは勉強で入ってきた選手で4年の春まで試合にも出ていなかった選手ですが、コツコツ努力をしてどんどん上手くなって。最後は首位打者をとり、現在社会人野球のエネオスのキャプテンをしています。
物事の取り組み方は野球以外でも応用できますので、仕事でも同様に取り組める。
そこは活きるところだと思いますね。
「ス」:今日はありがとうございました。
- 魚谷秀夫 さん
- 生年月日:1980年生まれ
- 出身地:大阪府
- 中学:大阪市立、成南中学
3年時も第17回全国中学校軟式野球大会に2年連続で出場、3番・投手で準優勝。
準決勝で大会史上初の完全試合達成。(現在も他に達成したものおらず) - 高校:創価高校 1年夏からベンチ入りし、主力として2年夏西東京大会準優勝。決勝戦では先発。
2年秋、東京大会準優勝で翌年の第70回選抜高校野球大会にエースとして出場。
2回戦で大阪・PL学園に破れる。この世代を代表する選手は松坂大輔=「松坂世代」 - 大学:明治大学
1年時に肩を痛め、2年時に手術。その後、痛みとの戦いと満足のいく投球パフォーマンスが最後まで出来ず、大学時代はスタンドから野球を見ることがほとんど。
3年時に打者転向の打診がコーチよりあったが、視力がすでに悪かったため断った。 - 社会人野球:Fedex
社会人野球2大大会、都市対抗野球と日本選手権大会の出場をかけた代表決定戦で2度敗退。この時、主にセットアッパー(中継ぎ)として活躍。在籍4年で現役引退。 - これらの経験から、アスリートが持つべき意識や、そのレベルに応じた必要な知識、また現代のアスリートが抱える問題と、今後のアスリートへの課題など…。
まだまだやれることは沢山あり、磨けば光るダイヤの原石はゴロゴロいる。
そんなアスリートを今より更にレベルアップさせ、一人でも多く世界の舞台で活躍できるアスリートが誕生してほしい。その為に必要な情報や商品を提供し続け、アスリートにとってなくてはならない存在となるのがSOCIOの使命と考え起業。
またそのノウハウを今後は一般ユーザーにも発信して、日本のまだまだ眠っているスポーツの潜在市場を呼び起したい。















